小島 尚さん

東京都出身。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科木工コースを卒業後、塗料メーカーに就職、自動車用塗料を開発するグループに配属。その後、派遣や販売の仕事を経験し六年ほど働くが、もう一度木工を学ぶため石川県挽物轆轤技術研修所に入所した。そこで二年学んだ後、先輩の紹介により和泉の木工所へ。和泉に移り住んで10年が経つ。

移住のきっかけは?

技術研修所時代の先輩の紹介です。当時、先輩は岐阜から石川まで国道158号を使って車で通っていて、その途中にある木工所の存在が気になっていたみたいです。ある日、どういう場所なのか地元の人に聞いたところ「閉鎖して数年経つけど、どうにか再開させたい木工所」だったそうです。先輩は自分より私に合っているんじゃないかと思って話をしてくれました。

移住の決心

当時の私は、職人になるのかどうか悩んでいました。職人の世界は一日に100個、毎日休みなく商品を作るようなところ。『自分には向いていない、でも木工は続けたい』と考えていた時期でした。それで先輩の話を聞いて、実際に木工所を訪れてみたんです。広さや揃っている機材は申し分ないし、そして何より親方になるような人がいない。すべて自分で考えて木工を作りだせる環境は魅力的でした。どこかに弟子入りする話もなかったので、大野に来ることを決めました。地方で自分のものづくりに没頭したかったのかもしれません。

小島さんの写真
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大野に住み続けられた理由

いろいろな方と出会えたことが大きいです。「閉鎖してしまった木工所を再開させたい」という熱い想いを持った大野市和泉支所の方、一人で木工所はできないからと言って全面的にバックアップをしてくれたはす向かいの工務店の人たち、私が作りたいものを形にしてくれる木地師さん、木工所のお手伝いをしてくれるお姉さん方…。今では和泉にいない方もいますが、この人たちのおかげで今の自分があると思います。

自身の成長を実感

様々な活動の上で、できることとできないことを精査できるようになってきました。例えばSNSでの宣伝。した方がいいのは分かっているんですが、苦手なのであまりしていないんです。以前「やる気があるのか?」と言われたことがありました。大野へ来たばっかりの私だったら、その言葉に反発していたかもしれません。ですが、大野でのいろいろな出会いを経て、成長したのかな。その言葉の通りだと思ったんです。それからは直面する課題に客観的に、やるために具体的にどうするか逆算したりやってみてから見直そうと考えるようになりました。最終的にできないと判断したときは得意な方にお願いしたり協力することで、想定外の素晴らしい結果となることが増えました。おかげさまで今が一番充実しています。

どんなところに住んでる?

和泉地区川合

お給料はいくらぐらい?

器を売って+木工教室委託分でぎりぎり暮らせるくらい、です。

休日は何してる?

不定休です。自分がつかれた時に休む感じ。海外ドラマを見たりしています。

他の移住者との交流は?

木工教室運営にご協力いただいています。

印象的なエピソードは?

家の裏が火事になったとき、住民が総出で働いていたことです。男性陣は川から水を汲んで消化活動にあたっていたし、女性陣はまかないを作るなど皆で動いていました。地域の絆を見ましたね。

地域にとけこむためのコツは?

とくにないですね…。やりたいことやっています。

大野に住んで、うれしかったことは?

自然が素晴らしいです。

逆に、辛かったことは?

雪が大変です。

大野の魅力を教えて?

自分らしさを出して生き生きとしている人たちがいることですね。

先輩として後輩にメッセージを!

楽しく生きましょう!