辻さんご家族

辻 範男さん(左)
大野市生まれ。高校卒業まで大野市で過ごし、進学を機に京都市へ。大学卒業後、障害者施設で24年間勤めた。その後、介護タクシーの運転に従事する。大野へUターンしてからは病院併設の介護施設で働く。
辻 久美子さん(右)
アルバイトを経て、ウェブデザイナーとして働く。移住後もリモートワークで続けている。

Uターンのきっかけは?

範:そもそも大学卒業後は大野に戻るという前提だったんですが、その頃には帰る選択肢は頭になく、京都で就職しました。楽しいのはもちろん、ここを逃したらもう都会には戻れないと思ったからです。親からは毎年「どうや、どうや」と言われていましたけどね。ただ自分も50代に入り、親が80歳を過ぎてさすがに『帰るか、こちらに親を呼ぶか』を考えるようになりました。でも親を呼ぶことは難しい。そして昨今のコロナ禍もあり、いいタイミングだと思いUターンを決めました。

奥様の反応は?

範:むしろ積極的で、私より移住したい気持ちが強かったです。妻はすでに両親を亡くしていて、特に京都に居なくてはならない理由もありませんでした。親の介護というのはずっと考えていましたし、大野市へUターンするタイミングについてよく話しをしていました。年に1,2回は帰省して慣れていたのと、両親とも仲良くしてくれていたのでいいかな、と。妻は田舎の暮らし方を両親に習いたいと思っていたみたいです。
久:家で農業をされていて、これまでも季節の野菜や食べ物をいろいろといただいていました。そういうものをどうやって作ってはんのかなぁって、教えてもらいたいなぁって思っていました。
範:私はそういうのを当たり前にして育ってきたんですが、妻には新鮮に見えたのだと思います。

Uターンしてみてどうか

範:地元なんでそんなに違和感はありませんでした。思った以上に京都にいたころより忙しい日々を過ごしています。今までにも引っ越しは何度かしてきましたが、エリアを変える引っ越しは久々なので、手続きに時間がかかりました。落ち着いたころにハローワークに行くと、すぐに仕事が決まったのでよかったです。
久:私はもともと在宅ワークで、場所が移動しただけで生活スタイルはほとんど変わっていないんですよ。福井に来たっていう気持ちはありますが、違和感は特にありません。義理の両親がすぐ近くに居るっていうくらいですね。

水について

範:てきめんに変わりました。そもそも水が美味しい。京都に出たときは、まず飲めなかったなあ。妻も肌がつるつるになったと言ってます。
久:私は肌が弱いんですが、夫の実家でお風呂に入るとすごく気持ちよくて、来る度に「京都と違うな!」って思っていました。今では大野に慣れてきたので、その感覚は忘れつつあります(笑)

辻さんの写真
辻さんの写真
辻さんの写真
辻さんの写真
辻さんの写真
辻さんの写真
辻さんの写真

あらためて大野に住んでみて

範:高校までだったらいいけど、山に囲まれたこの地にずっと居るのは窮屈そうで嫌でした。子どものころは出たいとしか思わなかったですが、実際に出てみたら、水・食べ物・空気がすごい美味しいということに気づきました。今は仕事に慣れるのに必死というのもありますが、窮屈に思えていたことが、子どものころの感覚とは違うように思います。それに帰ってくる度に道や風景が変わっているし、いろんな店ができたんやなってびっくりしています。六間通りなんかはだいぶ変わった!にぎやかさは高校のころからは感覚的には変わってないと思いますし、静かなまま。でも観光客は増えている気がしますね。今はコロナ禍でしんどいけど、コロナが終息したらいっぱいくると思いますよ。

大野に住んでみて

久:野菜は京都と品揃えが変わらないですね。もちろん大野の厚揚げとか地域のものもあるんですけど、京都とほとんど変わらないので違和感はありません。ただ、私は夜型の人間なので夜にちょっと買い物にでても、8時ごろになるとシーンとして、夜の賑わいがほとんどないことにびっくりしました。ウォーキングしてる人をちょっと見る位でだれも歩いてないし、「ああ~寂しい」って思いました。あと、暗いので道に迷いそうになります。まだ、どこがどうなっているのか感覚がつかめていません。京都は京都タワー!って目印があるのでそれに沿って歩くんですけど…。
範:大野は目印になるランドマークがないんよね。もちろん大野城はあるけど真ん中にないから、目印としては難しいよね。
久:山も同じように見えるし、方向感覚が未だに分からないですね。

地元の友人の反応

範:昨年からのコロナ禍ということもあり、まだ同級生とは誰とも会っていませんね。同窓会もしたいけど、今はコロナ禍だからどっちみち出来ないですし。5年ごとに同窓会しているので、次は3年後。そのころにはさすがに収まっているといいですね。

京都の友人の反応

範:止められることはなかったですけど「よぉ、するなぁ」っていう反応がほとんどでした。こっちに戻ってからも「よぉ帰ってきたなぁ」って反応が多いですが。30年以上、京都にいたので、『このままなのか?』と心のどこかでは思っていました。
久:私はうらやましがられることも多かったです。田舎に行きたいというのもあるし、コロナ禍で都会より田舎がいいという人が多かったです。夫の両親にいつもよくしていただいてたので、近くに住んで何かお役に立てればと思ってるという話をすると「それがいいよ」と賛成してくれました。
範:そういえば僕もそっちの方がいいって言ってくれてましたね。「よぉ行くな」も言われましたが、もしかしたらそうしたいけど、そうできない人もいたかもしれません。エリアを変えて動くってけっこう大変ですから。
久:主人の仕事もコロナで激減して、仕事も3ヶ月くらい休むように言われたりしました。そうなると京都にいても仕事もない、これからどうなのかなって考えるようになり、大野への移住の気持ちが固まってきました。その時に大野市に問い合わせたら町家住宅が6月に空くことを教えてもらいました。そこからとんとん拍子でしたね。
範:最初に移住相談をしたのは京都のUターンセンターでした。その時は「仕事を同時に決めていかないと大変ですよ」って言われたんですが、同時はさすがに無理でしたね。妻はリモートワークで継続して働けるというのもあったからよかったんですが。
久:二人とも仕事を離れるとなるともっと考えていたと思います。
範:自分も仕事は大野でみつければいいし、いざとなったら実家がありますしね。

今後について

久:季節の暮らし方を義父母に習いたいです。吊るし柿の作り方だったり、梅干しの作り方だったり。生活の中での季節の暮らし方を大切にしていけたらいいなと思っています。
範:僕は久々に戻ってきたからスキーやらキャンプやらを復活したいですね。